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テキスタイル造形作家

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取材研究 Material acqisition research

希少染料植物の栽培・草木染事業

     富士吉田市の繊維商社・フジチギラ鰍フ取り組み

富士北麓・郡内の染織文化

 富士山の北側の麓一帯を富士北麓といい、緑豊かな国立公園内にある。
 この地は、度重なる噴火を繰り返し、溶岩や火山灰などで覆われた厳しい自然環境の中、農林業を営んでいた。北麓の中でも都留郡一帯地域を郡内地方と呼ぶ。
 富士山北麓の春夏秋は短い。それぞれあっという間に終わってしまう。その分冬がながくなる。近年こそ積雪量は少ないが、高冷地のためなにもかもが凍ってしまう。過酷な自然環境は、生活者には厳しいものがある。富士の裾野に広がる農地は火山灰土で、豊かな実りは期待できない痩せた地であり、農閑期、人々は副業として機を織り、出来上がった反物を行商することで暮らしをたててきた。江戸時代には始まっていたという郡内織物は、のちの「甲斐絹(かいき)」「大石紬」など、地場産業として発展してきた。産地からの商いも馬車鉄道から始まり、交通機関の発展によって次第に観光地となっていくがそれは近年のことである。
 2013年、富士山が世界文化遺産に登録され、再度、富士北麓は注目を浴びている。この地に国内外から多くの人々が訪れ、国際的な観光地と化してきた。そんな流れのなか、染料植物の栽培とそれらの植物染料で染められた製品による新しい事業が始まろうとしている。

プロジェクト「千紫万紅(せんしばんこう)」

 その挑戦は6年前にさかのぼる。地元、富士北麓の中心地・富士吉田市にある繊維商社・フジチギラ鰍ゥら始まった。繊維全般の卸業務が専門の同社は、親会社の変更に伴い新規事業を模索していた頃、国の農工商連携プロジェクトに参加する機会を得た。以前より卸業をメインに営んできた会社だが、「自社のブランド化」により「製造」を意識する改革をめざした。
 ブランド名「千紫万紅」を商標登録し、地元で栽培した天然染料による草木染を活用したテキスタイル製品の開発と草木染体験プログラムの事業化をスタートした。
 事業を具体的に進め始めた頃、日本茜の栽培ノウハウを持っていた地元花き栽培業の佐藤園芸と出会い、共同参稼としてプロジェクトの連携を確認した。佐藤園芸は、日本茜、絶滅危惧1B類に指定されている紫草、蓼藍、富士川口町の町花である月見草などの工芸作物の種苗育成・栽培についての研究や専門的な助言などで事業をサポートすることになった。
 この事業では、草木染の工業的なプロセス確立するとともに、付加価値のある染色糸を使って商品開発を進めることが大きな目的の一つとなった。染料植物の量産は、地元の専門家との連携なしには成功しない。希少な日本茜、絶滅危惧1B類に指定されている紫草などを300株用意することは容易ではなく、プロジェクトが始まってからの6年間、佐藤園芸にとっても苦労の連続であったに違いない。
 佐藤園芸の用意した苗を豊かに育て、このプロジェクトの中心的な場所となるのが富士山の裾野に広がる富士五湖の一つ、河口湖畔の北側に位置する大石地区にある。そこは富士山の眺望も良く、のどかな風景が広がる観光地でもある。江戸時代には桑畑も広がり養蚕業で栄え、大石紬の発祥地となっているところである。現在は湖畔に大石紬伝統工芸館があり、歴史資料見学や織物体験ができる。このプロジェクトの染色体験は、この建物の染色室が使われることになった。

収穫と染色の体験事業

 体験型染色プロジェクトのなかでも一番魅力的なものは、染料植物の収穫であろう。多くの種苗の移植、収穫、それらの染料植物による染色体験は、杉野服飾大学の参加により、多くの学生が豊かな大石地区の自然の中で1年間を通して活動し、そのことは草木染体験事業を実現させるための大きな力となった。
 日本茜、紫草ともに薬草・根物染料で、土壌が大きく関係している。遊休農地とされていた1500uの広さを持つこの畑は火山灰や玄武岩質の溶岩盤におおわれてとても水はけが良い。畑の管理者である堀内真氏の管理の下で肥沃な土壌が作られている。そのおかげでバナジウムなどのミネラルが豊富に含まれた水分を充分に吸収し、箒のようにたっぷりした日本茜の根ができた。紫草も順調に育っている。蓼藍はもともと育てやすい植物なので、管理の行き届いた畑で青々と茂っている。地下水に含まれたバナジウムなどのミネラル分は、日本茜や紫草などの発育や、染色時の染着に効果をもたらした。
 しかし自然が相手の仕事は、人間の努力だけではコントロールできないこともある。天候不順の昨年は、収穫量が例年の半分にも満たないこともあった。
 フジチギラ鰍ナは、栽培した日本茜や藍に実際に触れてもらおうと、収穫と染体験のワークショップを実施している。この秋も、川口湖畔の畑と大石紬伝統工芸館を会場に行われている。

草木染による商品開発

国の事業は3年前に終了したが、プロジェクト「千紫万紅」の取り組みは継続して行われている。6年目を迎えた今年、草木染によるテキスタイル商品開発も少しずつ形になってきた。商品開発は、まず古くから富士吉田市の特産品であるネクタイに着目した。糸から、草木染、機織、整理、縫製までの全工程は、市内の業者によって仕上げられている。
 また天然の色、素材にこだわった、身に纏うストールなどの商品も試作を重ねている。さらに山梨県富士工業技術センターとの試作作品開発やデータ収集も着実に進められており、来年度の展示会にむけ、事業を本格化している。
 富士北麓で栽培収穫された蓼藍を富士藍、日本茜を富士茜と名付け、富士藍の種や乾燥藍の染色キット、富士茜の乾燥染料なども商品化された。これらが観光地の名品へと育っていくよう、今後も引き続き見守っていきたいと思っている。

              染織情報α(アルファ) 2014.11/染織と生活社に掲載
      




富士河口湖のアート、福祉、伝統産業の関係者連携

   機会があって、テキスタイル造形作家として河口湖町の伝統産業の継承に少しでも協力できたことが
   とても嬉しく感じます。河口湖へお出かけの際は、河口湖美術館を訪問ください。 

大石紬グッズで継承

 富士河口湖町の養蚕や伝統工芸「大石紬」の継承につなげることを目標とした、河口湖美術館のミュージアムグッズが誕生した。同町ゆかりの造形作家や福祉事務所、養蚕や大石紬継承に携わる人らが手を組み、「繭けば」と呼ばれる蚕の繭の一部を材料に活用。第1弾商品として富士山形のメッセージカードを売り出した。将来的には全て同町産の原材料で制作することを目指していて、先細り傾向にある養蚕や大石紬などの伝統産業の復興に結び付けたい考えだ。
〈五味優子〉

繭けば活用、美術館で販売

 美術館グッズの制作は、同町出身のテキスタイル造形作家の大金晶子さんと同町小立の生活介護事業所パルパル、富士吉田市上吉田のギャラリー・ナノリウムの中植のぞみさんらが中心になりスタート。以前から「伝統産業を受け継ぐ手伝いがしたい」と考えていた中植さんが養蚕農家の減少や機織り職人の高齢化などで同町大石地区の大石紬が存続の危機にあることを知り大金さんに相談。大金さんは日ごろ布や紙などの繊維を使った造形作品を製作していて、繭けばを活用したもの作りを提案した。
 大金さんによると、繭けばは蚕が最初にはき出した絹糸で、繭玉の外側を覆っている。少量しか取れず通常は廃棄処分されることが多いが、水でぬらしてアイロンでプレスすると、和紙よりも丈夫になり美術素材として活用できるという。中植さんは「養蚕から織りまで一貫して行う大石紬の地元だからこそ、繭けばを使うことに意味がある。捨ててしまう部分が活用できることを知ってもらい、伝統をつなぐきっかけになってほしい」と話す。

廃棄品を利用

 以前から交流があったパルパルと同美術館に声を掛け、ミューアムグッズを作ることで決定。昨年夏から材料集めや作業を始めた。繭けばは、同町大石紬伝統工芸館と大月市猿橋町の養蚕家の水越菫夫さんに協力を依頼し、廃棄処分していたものを無償で提供してもらった。
 メッセージカードは、富士山画のコレクションで知られる同美術館に合わせて富士山形にこだわり、大金さんが型紙を作成。パルパルの通所者らが制作作業を担い、シート状に加工した繭けばを型紙を使って切り抜き、顔料でブルーとオレンジの2色に染めて商品化している。

第2弾も開発

 5月から美術館の受付カウンター脇で、1つ300円(税込み)で販売。同美術館によると商品として一定の品質があり、来館者の評判もいいという。地元の伝統産業継承に協力するため、今のところ販売手数料は取らずに扱っている。今後、製作が軌道に乗って商品として成り立つようになれば「一仕入れ業者として取引していきたい」としている。
 現在第2弾として、繭けばを藍染めした封筒と和紙の便箋のレターセットを開発中。名刺入れの商品化も考えている。
 大金さんは「ゆくゆくは地元産の藍やアカネグサなどを染料につかいたい。原材料から商品化まで一貫して地元で成り立つような仕組みを考えていきたい」とはなしている。

                   山梨日日新聞 2016.8.5掲載
                









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